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2006.07.16

17回目の「マリンフェスティバルYASU」

「マリンフェスティバルYASU」を始めてもう17回目か。

思えばあれからずいぶん歳月が過ぎたものです。

このイベントの創設当時、私は実行委員会の事務局として裏方をしていました。
今でこそ明かしますが、当時、夜須町(現在香南市の一部)は高知県が強力に推し進めていた「マリンタウン計画」の中のマリーナ建設を巡り、町を二分する争いがありました。

その争いの流れを受けて、当時反対派の中にいた知事の同級生も含めて、多くの県民の熱い要請を受けて、現職知事の橋本大二郎氏が高知県知事選への出馬を決めたいきさつもあります。知事選では、副知事をしていた元大蔵官僚を退け、草の根型選挙で大差をつけ橋本高知県知事が誕生したのは、印象深くもあり、ひとつの時代の分岐点でもありました。

こうした争いが続く中、賛成反対に町が分断された夜須町のイメージを払拭し、マリーナ建設をするかどうかは抜きにして、夜須町にもっとたくさんの方に来ていただこうと商工会を中心に、農協、漁協、役場、婦人会、青年団等々の皆さんの力を結集して、新たな時代のイベントを企画して実行することを決めました。

私はその準備にあたって、関係機関はむろん、町内外の企業等を訪問し汗をかきながらイベントへの理解協力を求めていきました。朝から晩まで事務作業や準備に追われ、ある時にはふらふらになり、運転して車をぶつけそうになったこともありました。

町内団体の方々にはイベントを通じて「人をもてなすこと、特産品や催しを通じて夜須町の良さの伝えかた」をそれぞれ学んでいただきました。
結果的には観光リゾートの「やす」のイメージを高めることができました。

その後、橋本知事の英断でマリーナ建設は中止されましたが、住民がイベント体験を通して学んだ成果は、現在の「やっしーパーク」にも生かされていると思います。
当時の商工会青年部長の丸岡さんは、抗争の時でも自らの理念を熱く語り、進んで行動されていました。彼とは一緒にまちづくりを進めてきた中ですが、自らの信念を貫き通すことの大切さを学びました。

そしていま、私自身が再び高知県の「ぷらっとこうち」から強制排除されました。
                http://www.plat-kochi.com

あの時と同じように、話し合いを求めて、改善案を共に探ろうという私たち住民側の歩み寄りの姿勢に対して、何故かそれをかたくなに拒み、強引に自分たちのやりかたを進めていこうとする、新堀川工事やぷらっとこうち運営会議、県行政側の姿を見るにつけ、17年前にタイムスリップしたかのような、なにやら非常に複雑な思いがしています。

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